2013年4月22日月曜日

言葉のまやかし『敗戦記念日』

近頃では「敗戦」と言う言葉がとんと消えてしまったみたい。

 「終戦」と言うけれど、戦闘状態が終わっただけで戦争そのものが完結したのかな。沖縄は米軍の基地だらけで日本列島に何ヶ所も米軍基地があり「基地公害」という言葉も生まれてから随分古い。

 米軍基地というけれど、占領軍基地とハッキリ言わなければならない。
 日本は未だアメリカの占領下に置かれていると認識しないとまやかしがまやかしをドンドン肥大化させている。


「戦没者追悼」約300万人の犠牲者を追悼すると言う。
 その大半が軍人。死ねば皆、仏だろうけれど、そんな単純には割り切れない。お国のタメに命を捧げた、と言うが、それは殆んどウソ臭い。

 先ず、戦争当時軍隊は何をしたか。
 上官の命令は天皇の命令と朝鮮、中国大陸、東南アジアの広範囲に渡って非戦闘員の一般人の殺戮を繰り返していた。その中に子供、婦女子、老人
が多数含まれていた。
 
 妊婦の腹を日本刀で裂き胎児を取り出して串刺しにしたり、婦女子は犯して慰めものにしたり、少女や若い娘を慰安婦として強制連行したり、老人男子は日本刀の試し切りと首をはねたり、成年男子は連行して苦役につかしたり、言わば鬼畜の殺人者としての加害者であったコトを深く深く認識しないとアカンのんチャウか。

 この言葉のまやかしが続くと、日本は戦争に負けたのではなく、天皇の一言で戦争を終わらせ、それで8月15日、儀式としての追悼式。

 いや、待てよ。儀式だけには終わっていない。
「お国に捧げた命」を大義名分化するコトで国家意識の高揚を企てている。
 いい気なもんだ。

 自国の300万人以上を英霊化し美化し、その軍隊で2000万人以上という東南アジアの人たちを虐殺したコトについては触れるコトは少ない。

 真摯な気持ちになって、懐を深くして
「太平洋戦争全犠牲者追悼、懺悔の式典」位にして東南アジアの犠牲者の色々な代表を招いて深々とお詫びの言葉と、新たに出てくる戦争の悲惨な事実を公表して、平和を強くアピールする位のコトが、正道ではないか。

 被爆に始まって満州からの逃避行、最近は朝鮮民主主義人
民共和国いわゆる「北朝鮮」拉致問題。やられたコトだけをあげつらう。

 原爆は許せないとしも、原爆の開発に血道をあげていたのはアメリカだけでは無かった。たまたまアメリカに先をこされただけで日本も密かに原爆
の研究をしていたのだ。それを思うとそら恐ろしくなってくる。

 満州からの逃避行にしても、日本が負けたから死に物狂いで逃げてきた。
 なぜ、そうなったのか。傀儡政権を打ちたて満州国と言うのをでっち上げ
強引に侵略し、そこに居た人達から土地を取り上げ、取り上げた後は残虐の限りを尽くした日本人やからこそ、復讐を恐れ狂気の集団逃避行となった。

 確かに拉致そのものは許しがたい。
 が、拉致拉致と騒ぎたて自分たちだけがこの世の被害者とヒステリックに
狂騒している。

 数十人の拉致被害者と100万人以上と言われる朝鮮からの強制連行(拉致)を、ただ数の上だけで天秤にかけるのもどうかと思うが(朝鮮側では300万ともいう。実際の数字は永久に不明で、ただそら恐ろしい数字であることは確かだろう)、この圧倒的な数の対比をどう考えるのだろう。

 50年、60年経ってしまえば風化したとでも思っているのか。

 先日亡くなられたアイヌの萱野先生の口癖が、足を踏んづけた者には痛みは分からない。しかし、踏まれた者は傷みを忘れない。
 穏やかな表現の中にも憤懣やる方ない怒りを表している。
 実際、足を踏まれた位ならどってコトはない。
 文化を奪われ、言語を奪われ、土地を奪われ、命を奪われ続けた人達には風化はありえない。

 拉致被害者家族が真に心の哀しみを訴えるなら、生野のオモニ達と共闘して朝鮮政権にと、敗戦の清算を仕切れない日本政府へ抗議行動を共にすべきではと思う。

 そして、拉致は「北朝鮮」の専売特許で無いというコトを認識すべきだ。
 軍事外交(侵略)を続ける大国と言う所の闇の拉致合戦はその比ではない。


 日本の不甲斐ないだらしなさは、やられたコトだけをビービー狂騒する
 男なら、いや人間ならやったコトの始末はチャンとつけないでどうする。
 8月15日を「敗戦記念日」と正しく位置づけ、外国の2000万と言う人命を奪い町や山や森等々を破壊尽くした「懺悔」の日とし、その後ろで自国の300万の慰霊に哀悼を捧げるべきと思う。
 そうしたら、靖国が軍国の中から生まれ現代に矛盾を放っているのが見えてくるのでは。 

 昭和天皇のA級戦犯が合祀されている靖国には参拝しないとのメモ。
 厚顔で破廉恥で救いようの無い低レベルの思考。
 超々ウルトラA級戦犯がご自分とは考えられない幼稚さ。

 戦勝国アメリカが主役の東京裁判なんてクソ喰らえの歴史の一コマだけど、それはA級戦犯を裁いたからではない。
 B級、C級の中には無実というか感覚、習慣の違いを検討されず死刑になった人たちが多くいた。

 土台、原爆を投下したアメリカに裁判権は永久に存在しない。

 以来、朝鮮、南米、ベトナム、アフリカ、アラブ世界等々で殺戮をやめようとしないアメリカ。日本はその占領下ある。

 人類裁判で被告に上がるのはアメリカでA級殺戮者はブッシュ。それに忠犬の小泉も横に並ばなければならない。

 ドイツはナチの犯罪を厳しく背負い、戦後政府と国民はナチの戦犯者を暴いてきた。イタリア国民はムッソリーニーを逆さに吊るして市中をデモった。
 何故、日本の天皇だけが安泰でしかも、まだ「国家の象徴」とやらになっているか。

 ヒットラーもムッソリーニーも成り上り者。
 天皇は皇紀2600年の由緒正しい「神」の家系、神系??。
 日本民族には侵し難い存在。

 平安期の終息以来、幽閉を余儀なくされた天皇家ではあるが強い消えない威光で時の権力は利用し続けてきた。
 唯一、天皇に代わり王になろうとしたのが織田信長という。

 東洋の儒教の思想。国に帝が居てそれを中心に国家が安泰する。
 本家の中国は孫文以来その思想を捨てた。

 日本は、不思議な国。国民の殆んどがどうでも良いと思う天皇を未だ象徴においている。
 憲法第一条にそれはハッキリ明文化されている。
 憲法遵守でそれを貫徹している。

 ならば、人類と世界に誇る憲法第九条を死文化している現状を嘆かねばいけないのでは。

 小泉が憲法には思想信仰の自由があると居丈だけに靖国に参拝するなら憲法九条を徹底的に遵守しろよと、、。

 詭弁、方便がまかり通り「まやかし」だけが魔物となってこの国を被い尽くしている。

 若干20数才で「時代閉塞の現状」を著し、明治の社会政治を痛烈に批判した詩人石川啄木が、現代にも数多必要なのだと思う。




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